神社仏閣参拝とオヤジの休日

中部地区を中心に趣味の小旅行(神社仏閣参拝)を私的観点から綴っています

光孝天皇 勅願所 丹生山 近長谷寺

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多気多気町長谷の自然豊かな地にあり

山号を丹生山といいます

千年以上の歴史を誇る古刹で、

勢和村丹生の地から産出された水銀で富を築いた

飯高氏が光孝天皇勅願寺として建立したのが

始まりだが、大雨洪水で堂宇は破損

本堂は真海上人が長い歳月を要し再建

その後、政尊が僧堂を建てたが

さらにまたもや大雨洪水で堂宇は破損

快舜によって現在の本堂が再建された。

五穀豊穣・開運・家内安全と

村の守り仏として多数の信者を有し、

伊勢の皇大神宮に近い事から

「近長谷寺」として改称された。

御本尊の十一面観世音菩薩は、

奈良の長谷寺鎌倉の長谷寺と共に

「日本三観音」として国の重要文化財に指定され

広く知られている中でも、右手に錫杖を添える姿は、

日本唯一のものです。

意外に三重県の人にも殆ど知られていない。

 

国宝の日本三観音は三体の仏像を

一本のクスノキから造られたと

伝えられている。

 

「御詠歌」

  大和なる 長谷の寺も これと又

       同じ御法の 道にこそゆけ

                 (┬┬﹏┬┬)

 

丹生山 近長谷寺

 

宗派 真言宗山階派

本尊 十一面観世音菩薩

真言 おん まか きゃろにきゃ そわか

開山 飯高宿禰諸氏

開創 仁和年

札所 伊勢西国三十三所観音霊場 十一番札所

   三重四国八十八ヶ所霊場  七十九番札所

 

「鐘楼堂」

梵鐘は政尊が慶安年に天命図書安次に造らせ

梵鐘銘文は伊勢宇治真常院の僧、亮典が撰文

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「本堂」

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「本尊」

逗子よりチラッとのぞき込む

十一面観世音菩薩

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御朱印

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「アクセス」

三重県多気多気町長谷202

 

多気町の長谷と神坂という山あいに立つ

この地域には「近長谷寺」「普賢寺」「金剛座寺

と千年以上の古い歴史の古刹がある

そのためか、地元の人たちはこの地に親しみを込め

多気チベット」と呼んでいる

是非とも、この多気町に来て頂き、

現物の御本尊 十一面観音を拝観してほしい

駐車場から険しい山道ですので、

歩きやすい靴で参拝してください

(歩きやすいように舗装してありますが)

毎月の18日と土・日以外は本堂は閉鎖して

ありますのでご注意ください 

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参道鳥居のところに、

杖がおいてあります遠慮せずに使いましょう。

帰り道は滑りやすいので気をつけて下さい。

 

また、近長谷寺の裏手には、

「近津長谷城址があります

貞和年、楠木正行の挙兵に呼応し

外宮禰宜の度会家行らが

兵糧米・具足をととのえ構えた

田丸城・一ノ瀬城と共に北軍を悩ました

伊勢における南朝の拠点の城であった。

裏手にある城跡への登り口

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まだまだ、長谷地区には

珍しい車田(田んぼ)があります

大きさは、近長谷寺の十一面観音様にちなんで

半径11メートルとなっています

なぜ、車田なのか

車状に植えるのは、

豊作の神が降りてくる目印ともいわれ

又、恵みの太陽を表すともいわれています。

因みに、この長谷の車田でとれたお米は、

近所の伊那神社に献上され、又

長谷寺の春季大会式(2月18日、厄払い)の

餅投げの餅米として献上されています。

 

 


伊勢西国三十三ヶ所観音霊場 丹生山近長谷寺

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多度山 法雲寺 多度観音堂

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桑名市多度町多度山下の自然豊かな地にあり

山号を多度山といいます。 

多度大社の東、鷲の倉の地に満願禅師が道場を開き

丈六の仏像を安置し日々、礼拝し

修行をしていたといわれます

多度大社の神託を受け堂塔の建立を発願し

この地に堂を建立

そして神像を祀って多度大菩薩と号していた

郡主水取月足から、鐘楼と銅鐘の寄進を受け

美濃の近士県主新麻呂から三重の塔の奉納をうけ

寺院の基礎が出来上がったと云われます

承和年、当寺を天台の別院とする勅命があり

嘉承年、真言の別院とされ、寺号を宝雲寺と称した

 

鎌倉中期の建暦の頃、盗賊の手により炎上

室町中期には明応地震災禍に見舞われた

更には、

織田信長の伊勢長島の一向一揆攻略により

多度大社で信長の調伏祈願をおこなった為

元亀年、美濃より来た柴田勝家・氏家常陸介が

押し寄せ、多度大社共々、堂塔のすべてを

兵火により焼失、その後、太閤検地により

寺領・社領の廃止に遇い寺威は衰退した。

江戸時代、

桑名を領した本多忠勝の多度神社復興に次いで

元和年、

松平定勝遠州掛川から愛宕神をこの地に移し

住僧良心法師が大修理を行い

大社の別当として宝雲寺を再興したが

明治の初め、神仏分離政令により

法雲寺は廃寺となった。

現在、多度大社のお手洗い川の畔に観音堂

建てている

 

「御詠歌」

  今までは 親と頼みし 笈摺を

       脱ぎて納むる わしのくらにて 

                 (┬┬﹏┬┬)

 

多度山 多度観音堂

 

宗派 真言宗

本尊 十一面観世音菩薩

   千手観世音菩薩

真言 おん まか きゃろにきゃ そわか

   おん ばざら たらま きりく

開山 満願禅師

開創 奈良時代

札所 伊勢西国三十三所観音霊場 三十三番札所

 

「本堂」

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本堂にある梵鐘は、宝永年金沢の鋳物師

           平井与兵衞尉永能 作

戦争の為、多くの梵鐘は供出され

古い時代の鐘は非常に少ない

 

「本堂内」

十一面観世音菩薩 千手観世音菩薩

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弥勒菩薩

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満願禅師

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御朱印

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多度観音堂のすぐ隣にある

衣食住を司る神様、家内安全、

商売繁盛、社運隆盛

「多度稲荷神社」

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主祭神 宇迦之御魂大神

 

「手水舎」

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「拝殿」

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全国に多数鎮座する「稲荷社」

多度山登山道を登ると本物に出会えるかも

又、多度稲荷神社には、

婚活守り(狐様のコンコンからか?)があります

これからの方は、どうぞ!

 

「アクセス」

三重県桑名市多度町多度山下1613

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨尾山 味光院 飛鳥寺

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桑名市深谷町山之城にあり

自然豊かな地に建ち、木曽三川を眼下に

濃尾平野を一望できる高台に建ち、四季折々様々な

表情を見せてくれる雨尾山にあります。

開山は千余年続く古刹であり

延暦年、大和国生駒山より黄金の花瓶を

喰えた霊鳥が、近隣山中の坊ヶ谷に降り立ち

その噂を聞いた、弘法大師が来山したところ

霊鳥が十一面観世音菩薩に

変化したと伝えられています。

その後、寺は大いに栄えたが、元亀年

織田信長の伊勢長島の一向一揆攻略により

寺域一里半、十二の伽藍が並ぶ密・律・禅の

真言密教名刹も、小堂一宇となった。

元禄年、地蔵菩薩の像を手に入れた

桑名藩士、南条三太左衛門宗親が安置場所を

探し雨尾山に登った際、寺跡の草庵の

中から、十一面観音の頭を発見、

宗親は奇異感嘆し

京都より仏師を招いて修復し房舎一宇を再現し安置した。  

「御詠歌」

   雨の尾の 嵐の風は しげけれど

       雲井はるかに 鳥ぞ飛来る

                                                      (┬┬﹏┬┬) 

雨尾山 飛鳥寺

 

宗派 真言宗東寺派

本尊 十一面観世音菩薩

真言 おん まか きゃろにきゃ そわか 

開山 弘法大師 

開創 延暦年 

札所 伊勢西国三十三所観音霊場 三十二番札所

 

「鐘楼堂」

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「本堂」

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現在、当寺は

山ノ城城跡に移っており

坊ヶ谷の跡地は飛鳥廃寺跡と呼ばれている。

 

御朱印

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 境内にある 

 農業・商業・産業の神

「三吉稲荷社」

 

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境内左にあるお社

 

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「眺望」

 木曽三川を眼下に、濃尾平野を一望できる

 
「アクセス」

 三重県桑名市深谷町2386

     0594ー29ー2019

 

 

 

 

 

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伊勢天台別院として栄えた 垂坂山 観音寺

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四日市市 大矢知地区にある

山号を垂坂山といいます

自然豊かな地に建ち、四季折々の

花の香りや、鳥のさえずりを楽しめる

開山は千余年続く古刹であり

延長年、若き日の慈恵大師が大乗受戒で

伊勢を行脚中、朝明郡の領主、舟木良見の

帰依寄進を受け垂坂山に堂塔を建立

大師自ら刻んだ千手観音像を本尊として

安置していることから始まる。

当寺は、伊勢天台別院として栄え

最盛期の伽藍の規模は垂坂を中心に

16キロ四方とも言われ、

薬師堂等の二十四坊が甍を並べる大寺であった。

しかし、天正織田信長北伊勢進攻

兵火にかかり諸堂をことごとく炎上してしまう。

その後、荒廃していた観音寺を嘆いた

桑名藩、野村増右衛門は、

藩主 松平定重公に再興を願い

藩主の命により元禄年に復興された

 

「御詠歌」 

 祈りなば 誰も願ひの

  垂る坂を 一人の上ると 人ぞ思ふな 

                                                  (┬┬﹏┬┬) 

垂坂山 観音寺

 

宗派 天台宗

本尊 元三大師(良源)

   千手観音像

真言 おん ばざら たらま きりく

開山 船木良見

開創 延長年

札所 東海近畿地蔵霊場     一番札所

   東海四十九薬師霊場    十番札所

   伊勢西国三十三所観音霊場 二十六番札所

 

「鐘楼堂」

 広瀬与左ェ門 作 (梵鐘)

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「本堂」

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毘沙門天立像」

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不動明王立像」

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山門となりにある、天台宗「一隅を照らす」精神の石碑

 

「元三慈恵大師」

宇多天皇の後胤といわれ、延喜年に出生

12歳で比叡山に登り理仙阿闍梨について

学問を修め、後に天台座主比叡山延暦寺住職)

となった。

世の中に、疫病が流行した際、降魔の観法を修し

鏡に映ったその姿を版に刻んで護符をつくり

人々に、配った。その時鏡に映った姿は

角を生やした鬼の姿であり

この護符は、角大師、豆(魔滅)大師と

言われ信仰されている。

また、

現在の神社仏閣で広まっているおみくじは

元三大師が創始者と言われています。

 

 言葉は心なり、ことばは心の足音

        心清ければことばも又香し

人間は偉いものではない尊いものです

      迷いやすき人間知りがたき真実

 

御朱印

 

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「アクセス」

 三重県四日市市垂坂町1266

       059-331-5448

 

 

 

 近隣施設では、

四日市市の工業地帯の夜景を一望できる

垂坂公園展望台があります。

一度足を運んで見て下さい

 

 

  

 

 

 

 

 

 

聖武天皇 勅願所 龍王山 宝性寺

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四日市市蒔田地区にある

山号龍王山といいます

開山は千二百余年続く古刹であり

天平年、聖武天皇

朝明行宮の際摩伊多の里に御野立された地で

勅願により建立された。

創建時は樹木が鬱蒼とした広大な土地に

七堂の伽藍の荘厳なお堂があり

ご本尊は、石山寺を開基した、

良弁僧正による彫刻、

十一面観世音菩薩像を

安置して祀り、長く隆盛をみた

永禄年、織田信長北伊勢侵攻

戦火で焼失した。

その後、享保年に桑名藩主 松平忠雅公

寄進により再興されたのが現在の本堂であり

ご本尊と共に「蒔田観音」と愛称され

現在まで、広く信仰されています。

 

「御詠歌」

 しののめの、光と仰ぐ 

       宝性の千歳の炎深き恵みを

               (┬┬﹏┬┬)

龍王山 宝性寺

 

宗派 単立

本尊 十一面観世音菩薩

真言 おん まか きゃろにきゃ そわか

開山 聖武天皇

開創 天平

札所 伊勢西国三十三所観音霊場 二十八番札所

 

「本堂」

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 「本堂内」

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「 阿彌陀堂」本堂左手にある

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 「 阿彌陀堂内」

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 「撫で佛」

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本堂左手奥の撫で仏びんずるそんじゃ)様

体の部分を撫で、その手で患部をさすると

病気が治るとされる

さすり仏様です。

 

境内にある 

御厨神明神社

       【旧村社】

主祭神

  豊宇気毘売神 とようけびめのかみ

祭神

  大山祇命   おおやまつみのみこと

配神

  応神天皇   おうじんてんのう

  天児屋根命  あめのこやねのみこと

 

「御厨神明神社」 拝殿

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 参道入口の石柱の号標に「御厨神明神社

とあるように、伊勢神宮の御厨の地に奉祀

された神社である。

参道入口の号標と境内を共有

明治維新に伴う神仏判然令以前の日本は

千年以上神仏習合の時代が続いた

日本土着の神祇信仰(神道仏教信仰(日本の仏教)

が融合し一つの信仰体系として再構成(習合)されて

いたこの名残と言えよう 

御朱印

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 「アクセス

三重県四日市市蒔田2-12-26 

 

 

 

 

 

 

 

 

聖武天皇 勅願所 白子山 観音寺

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鈴鹿市鼓ヶ浦地区にある

山号を白子山といいます

開山千二百余年続く古刹であり

四季を通じ葉や花の絶えない「不断桜」がある

寺伝では

本尊の白衣観世音菩薩が当寺の鼓ヶ浦の海中より

鼓に乗って出現したといわれております。

「伊勢の浦に時々鼓の音あり、怪しきままに網を

 下げしけるに、鼓に乗り、観世音の尊象上らせ給ふ」

以来、深い帰依を受け

正親町天皇より綸旨を賜る

「ご本尊は殊に大悲深く、難産のうれひを救い

 子孫長久を守らせ給う、ゆへに子安観音とあがむ」

孝謙天皇正親町天皇後花園天皇の絵画

徳川御三家の安産祈願文等を所蔵している

 

「御詠歌」

漏らさじとたつる仏の

     誓ひとて つづみの浦に、鳴る浪の音

                (┬┬﹏┬┬)

 

白子山 観音寺

 

宗派 高野山 真言宗 

本尊 白衣観世音菩薩

真言 おん しべいてい しべいてい 

      はんだら ばしに そわか

開山 道證上人

開創 天平・勝宝年

札所 伊勢西国三十三所音霊場 十九番札所

   三重四国八十八ヶ所霊場  十六番 札所

 

 

堂々とした仁王門をくぐると

正面にある「銅鐙篭」寛文年 辻越後守玄種 作

三重県指定有形文化財

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「手水舎」 

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 「本堂」

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境内にある美しい三重の塔」

内部には、金剛界大日如来文殊菩薩普賢菩薩

を祀っている

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現在より千二百年前、伽藍に雷火があり

跡より一本の桜が芽吹きその桜は、観音様の

妙智力により、四季に花葉が絶えず

「白子不断桜」

と名付けられました。(天然記念物)

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孝謙天皇

「ちかひあり いつも桜の花なれば 

  みる人さへや ときはなるべし」と詠まれ

当寺の御霊木となりました。

今も厳寒の中、白い花をつけています。

 

「鐘楼堂」

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 名古屋城下の武家屋敷門

 名古屋市東区白壁町より移築された

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因みに当観音寺の、安産祈願には

腹帯を持って行くと御朱印を押していただけます

安産祈願を終えると、安産御守、不断桜の葉

祈祷札、御供米、加持乳米を頂きます

不断桜の葉が封筒に入れられており

開けてみて葉が表だと女の子、裏だと男の子

が生まれるという言い伝えあります

因みに、管理人も白子山観音寺で

ご祈祷していただき、桜の葉の

言い伝えは当たっていました。

 

御朱印

 

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「アクセス」

 三重県鈴鹿市寺家3-2-12

 059-386-0046  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伊勢国 総社 三宅神社

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鈴鹿川中流域で、伊勢国府の地として

古くから開けた地に鎮座する。

日本の律令制にて国司が地方政治を遂行した

領域のほぼ中央に位置している

国府町一帯では、天王山西遺跡や

三宅神社遺跡(境内から東南東)が広がっており

この神社遺跡の南方に正倉があったとされ

伊勢国府の所在とされる。

江戸時代までは、惣社大明神」と通称されたが

三宅神社と改称している。

明治に入り、国府町各村の神社との合祀をされ

國常立之命・大穴牟遅命主祭神として

他二十二神がしていると言われます。

例祭は10月10日に行われ、三宅神社獅子神楽が伝わる

国府流と呼ばれる獅子舞は他鈴鹿地区で行われている

獅子舞とは違い珍しい舞をされるとのこと・・・・

 

三宅神社

  【延喜式 式内社】【論社】

  【伊勢国 総社】 【旧村社】

 

主祭神

  國常立之命(くにのとこたちのかみ)

  大穴牟遅命(おおなむちのかみ)

祭神        配祀

  猿田彦命    泉事解男命

  若狭比賣命   綿津見命 誉田別命

  伊弉冉命    軻遇突知命 速玉男命

  天照皇大神   奥津彦命 奥津比賣命

  木花咲久耶姫命 神日本磐余彦命

  伊邪那岐命

  須佐之男

  市杵嶋姫命

  大山祇命

  住吉三神

  (上筒男命)   罔象女神

  (中筒男命)   菅原道真

  (底筒男命

 

「三宅神社 手水舎」

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「三宅神社 拝殿」

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伊勢国の総社として色々な説がある

江戸時代まで「惣社大明神」と通称され

改称したのも明治以降、古く「三宅神社」と

称した例もなくただ「日本書紀」に

天武天皇大海人皇子天武天皇)がこの

伊勢鈴鹿に至った時出迎えた

国司守三宅連石床」とのみぞ知る

別説として、河曲郡

「大鹿三宅神社」と言われる説もある

また、中世以来に事実上の惣社として

同市、稲生町西 式内社「伊奈富神社」もある

だが、神様は、私たちの心の中に持ち

日々感謝の念を持ち暮らすのが一番であろう。

 

「アクセス」 

  三重県鈴鹿市国府町1609 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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