神社仏閣参拝とオヤジの休日

中部地区を中心に趣味の小旅行(神社仏閣参拝)を私的観点から綴っています

聖武天皇勅願寺 普門山 観菩提寺

三重県の西北端に位置し、古来より伊勢より 大和や山城に往来する人々や物資が行きかった 三重県伊賀市島ヶ原に奈良の東大寺に縁のある 観菩提寺・正月堂が在ります。 かっては広国寺だったとか 槇山寺だったのか諸説があるが・・・ 天平勝宝年に聖武天皇の…

後鳥羽法皇勅願寺 伊賀成田山 新大仏寺 

室生・赤目・青山国定公園と言う緑豊かな 伊賀の地にその昔、源頼朝は叔父の佐々木秀義の 追善供養の為、一宇を建立 その後、東大寺を再興した俊乗坊重源上人が この地に、後鳥羽法皇の勅願寺として創建したと 伝えられる。 俊乗坊重源上人は鎌倉時代に東大…

朱雀天皇勅願寺 那智山 松寿院 石上寺

その昔、大和国・布留郷(ふるのさと)の住人 「紀真龍(きのまたつ)」が石上神宮の神告により この、東海道亀山の地に那智山熊野権現を勧請し 新熊野三社として祀ったのが新熊野権現社の起源 弘法大師が紀真龍の元に訪れ、地蔵菩薩を刻み 一宇を建立し那智…

国司北畠氏祈願所 御嶽山 真福院

三重県のほぼ中央部を流れる雲出川上流 伊勢(三重県)と大和(奈良県)の境に位置する 三重県美杉村三多気、古くから「三多気の桜」で 知られている。 白鳳時代役行者が蔵王権現を祀られたのが 当山の草創と伝えられ 平清盛・北畠親房らも参篭したとされて…

ヤマトタケルを祀る 加佐登神社

加佐登神社・本殿北西にある白鳥塚(白鳥御陵) この白鳥塚のそば、小碓命の形見 「笠」と「杖」をお祀りしたのが 加佐登神社の始まりと云われます。 景行天皇の皇子として生まれた小碓命は、 若い頃から武勇に優れ 西国九州の熊襲タケル・出雲タケルなどの …

温泉の神を祀る 式内社 射山 神社

三重県津市の榊原にある射山(貝石山)の中腹に鎮座 後に現在の温泉地の一角に移されたとされています。 貝石山の西麓に湧いていた温泉が七栗の湯 里人は神湯・宮の湯とよんでいた かつては射山・湯山とも呼ばれ 貝石山は射山神社の御神体とも云われています…

東王山 瑠璃光院 慎福寺

鈴鹿市神戸地区にある山号を東王山と云います その昔、七堂伽藍を備え 神戸城の主、織田信孝の祈願寺とされ 寺領六百石を受領し大いに栄えたが 江戸時代の大地震により焼失 神福寺と称されたが 明治の神仏分離の際、現在の名称「慎福寺」に改称された。 境内…

日本三大虚空蔵菩薩 勝峯山 兜率院 金剛證寺

伊勢志摩国立公園の最高峰、朝熊岳にあり 山号は勝峯山といいます。 神仏習合の時代、 本尊虚空蔵菩薩の眷属、雨宝童子が祀られており 大日如来の化身にして天照大御神が日向国に 現れた十六歳のお影を、弘法大師が 感得し彫られたと伝えられている その昔か…

猿の恩返し 村社 鳴谷 神社

三重県鈴鹿山系藤原岳の麓に鎮座する 高僧・最澄禅師が大同年に山裾の聖寶寺観音堂を 開かれたとき、二十一社の小宇を建て守護神として お祀りしたのが始まりであり。 元亀年に伊勢長島一揆が起こり 滝川一益が鎮圧したが、 北勢員弁地方の神社仏閣を、 こと…

尾高山 和光院 引接寺 尾高観音堂

三重県鈴鹿山系釈迦岳直下の麓 桧の古木が綺麗に美しい林を作っている 山号を尾高山といいます。 その昔、孝元天皇の御代に生まれた女性が 仏像を安置し信仰したのが始まりと言われます その後、御堂を建立し聖徳太子が彫り込んだ 千手観音菩薩立像を安置し…

海上守護第一霊峯 青峯山 正福寺

国立公園 伊勢志摩の中央、青峯山上にある 山号は青峯山といいます。 その昔、倭姫命が神宮の皇大神を最初にお祀りした 聖地といわれ、本尊 十一面観世音菩薩は麓の、 相差の海より鯨の背に乗って現れたと伝えられています 天平年に、聖武天皇が、南都東大寺…

鳴谷山 聖寶寺

三重県の最北端、鈴鹿山系藤原岳の麓にある 山号を鳴谷山といいます。 千年以上前、平安初期に天台宗の開祖・最澄が 開山された古刹で 建立当寺、七堂伽藍を有する広大な境内があった。 しかし、戦国時代に信長の家臣 滝川一益によって 員弁攻略の兵火により…

光孝天皇 勅願所 丹生山 近長谷寺

多気郡多気町長谷の自然豊かな地にあり 山号を丹生山といいます 千年以上の歴史を誇る古刹で、 勢和村丹生の地から産出された水銀で富を築いた 飯高氏が光孝天皇の勅願寺として建立したのが 始まりだが、大雨洪水で堂宇は破損 本堂は真海上人が長い歳月を要…

多度山 法雲寺 多度観音堂

桑名市多度町多度山下の自然豊かな地にあり 山号を多度山といいます。 多度大社の東、鷲の倉の地に満願禅師が道場を開き 丈六の仏像を安置し日々、礼拝し 修行をしていたといわれます 多度大社の神託を受け堂塔の建立を発願し この地に堂を建立 そして神像を…

雨尾山 味光院 飛鳥寺

桑名市深谷町山之城にあり 自然豊かな地に建ち、木曽三川を眼下に 濃尾平野を一望できる高台に建ち、四季折々様々な 表情を見せてくれる雨尾山にあります。 開山は千余年続く古刹であり 延暦年、大和国の生駒山より黄金の花瓶を 喰えた霊鳥が、近隣山中の坊…

伊勢天台別院として栄えた 垂坂山 観音寺

四日市市 大矢知地区にある 山号を垂坂山といいます 自然豊かな地に建ち、四季折々の 花の香りや、鳥のさえずりを楽しめる 開山は千余年続く古刹であり 延長年、若き日の慈恵大師が大乗受戒で 伊勢を行脚中、朝明郡の領主、舟木良見の 帰依寄進を受け垂坂山…

聖武天皇 勅願所 龍王山 宝性寺

四日市市蒔田地区にある 山号を龍王山といいます 開山は千二百余年続く古刹であり 天平年、聖武天皇が 朝明行宮の際摩伊多の里に御野立された地で 勅願により建立された。 創建時は樹木が鬱蒼とした広大な土地に 七堂の伽藍の荘厳なお堂があり ご本尊は、石…

聖武天皇 勅願所 白子山 観音寺

鈴鹿市の鼓ヶ浦地区にある 山号を白子山といいます 開山千二百余年続く古刹であり 四季を通じ葉や花の絶えない「不断桜」がある 寺伝では 本尊の白衣観世音菩薩が当寺の鼓ヶ浦の海中より 鼓に乗って出現したといわれております。 「伊勢の浦に時々鼓の音あり…

伊勢国 総社 三宅神社

鈴鹿川の中流域で、伊勢国府の地として 古くから開けた地に鎮座する。 日本の律令制にて国司が地方政治を遂行した 領域のほぼ中央に位置している 国府町一帯では、天王山西遺跡や 三宅神社遺跡(境内から東南東)が広がっており この神社遺跡の南方に正倉が…

推古天皇・聖武天皇 勅願所  泰平山 府南寺

当山は聖武天皇勅願所の泰平山無量寿寺と 推古天皇勅願所の補陀落山府南寺とが 合併して 泰平山府南寺と号し 現在に至っており両寺は共に 聖徳太子草創に係る古刹である。 泰平山無量寿寺の本尊阿弥陀如来は、 伊勢皇大神宮の本地仏と言われる これは、後宇…

清涼山 宗徳寺

亀山市の名所の野登地区、 両尾(ふたお)町を一望する高台に位置され その境内の背後に広がる丘の中程に、 木々に囲まれて石製の小さな三重塔が 建立されています。 約一千百年前、醍醐天皇の勅願により 観音尊像がつくられ その観音堂は東南方、百メートル…

醍醐天皇勅願所 鶏足山 野登寺

伊勢西国三十三ヶ所観音霊場 三重四国八十八ヶ所霊場 鶏足山野登寺 亀山市の名所の中で野登地区にある野登山 山頂には野登寺上寺があり、 山号を鶏足山といいます。 千百年もの昔、人皇第六十代醍醐天皇は夢の中で 伊勢国鶏足山野登寺の菩薩の不思議なお告げ…

聖武天皇 勅願寺 金井山 林光寺

鈴鹿市神戸地区にある 山号を金井山といいます 開山は千二百余年続く古刹であり 天平年、聖武天皇の勅により、 行基菩薩が東大寺を無事建立祈願の途 この地を訪れた折、林の中に泉が湧き出て 金光を放つのを見て感動し 聖武天皇勅願寺として開創された。 又…

春日局ゆかりの寺 荒神山 観音寺(高神山)

嵯峨天皇の時代、弘法大師が日本武尊の御心霊を 仏像として祀り神事山を称したのが始まり その後、大和国の法陵律師という聖僧が 神事山の観音大士のお告げにより 十一面観世音菩薩の思い出し御堂を建立、 安置したのが縁起 その後 出羽国湯殿山の修験者、順…

富田山 長興寺

四日市市 富田地区にある 山号を富田山といいます 開山は千余年続く古刹であり 養老年に諸国行脚されていた泰澄大師が 一夜の宿とされた時、「薬師如来」が夢に立たれ 「前にある大木で仏像をつくり、衆生を救え」と 告げられ、夢のお告げに任せ、一日一夜に…

星川山 多門院 安渡寺

桑名市星川の小丘に建つ 山号を星川山 院法を多門院と云われます 開山は奈良時代前半と伝えられています。 室町時代には、星川城主・春日部氏によって 大伽藍が建立されたが 天正年、織田信長の北伊勢侵攻の 兵火により宇堂を焼失している。 当寺は古来、天…

日本三聖天  神宝山 法皇院 大福田寺

桑名市東方地区にある 山号を神宝山 院号を法皇院といわれます 開山は千四百余年、 聖徳太子の草創に係り伊勢山田に建立され 大神宮寺と言われていました。 鎌倉時代中期後宇多天皇の代 額田部実澄・忍性によって再興された 延喜年間、寛平法皇が御閑居され…

伊賀國 伊賀上野城跡

三方が山に囲まれた盆地にある平山城で京都・奈良・滋賀の 3府県に隣接する、東海地方にありながら、 関西文化の影響を大きく受けている。 京都や奈良の都に近いうえ古くから街道が通り、 人や物・情報が行き交う要衝。時勢になくてはならない 忍者という謎…

志摩国 鳥羽城址

三重県鳥羽市にある平山城。 三方が海に囲まれた小高い山に築かれた城で、 織田信長・豊臣秀吉の元で九鬼水軍を率いて 各地で活躍した九鬼嘉隆 が、 秀吉家臣時代に海に突き出た。 水軍の運用を重視するため、 大手門が海側に突出して造られた 全国的にもめ…

近江国 水口神社

江戸時代に、東海道五十三次のひとつである 水口宿が開かれ、そのにぎわいにつれて 宿場町水口の鎮守として東海道の宿場町である 水口の産土社。社殿が整備された 水口藩主・加藤氏の庇護を受け 中世には、大岡寺の護法神として山王新宮と称されていたが、 …