神社仏閣参拝とオヤジの休日

中部地区を中心に趣味の小旅行(神社仏閣参拝)を私的観点から綴っています

伊勢国 亀山城址

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東海道四十六番目の宿場町である亀山は、

東海道鈴鹿峠を押さえる交通の要であり亀山城

幕府の宿所としての役割があり、上洛する徳川家康

秀忠、家光などが本丸を休泊に利用されたと言われております。

関実忠によって若山(現、三重県亀山市若山町)に築城され

ところが江戸時代初頭に丹波亀山城

天守を解体するよう命じられた堀尾忠晴の

間違いによって、天守を取り壊されて、

城主居館は二の丸におかれていた。

城主となった本多俊次の手で大改修が行われ、

天守を失った天守台に多聞櫓が築造されたが

明治維新以降、廃城令によって、

殆どの構造物が取り壊され、

石川氏の時代に幕末を迎えた。

現在は天守台・多聞櫓・石垣・堀・土塁など一部が残っている

多聞櫓は原位置のまま残る中核的城郭建築として

現存する多聞櫓として全国的にも数少ない存在であるため、

本丸南東の天守台と多聞櫓本体を併せて、

「旧亀山城多聞櫓」の名称で三重県の史跡に指定されている

 

 

 

別名    粉蝶城(こちょうじょう、ふんちょうじょう)

築城主      関実忠

主な城主   関氏、岡本氏、本多氏、石川氏

主な改修者  岡本良勝、本多俊次

 

 

多聞櫓のある石垣をのぼるための階段がある 

 石垣の上は意外と狭く、幅いっぱいに多聞櫓が建てられていた


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文化財保護活動により「埋門二の丸帯曲輪」および

周辺部分が江戸時代末期の状態に復元された


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二之丸広場付近から見下ろした、

二の丸北側の斜面とその向こうに一部残る外濠跡

六月梅雨前に訪れると綺麗な菖蒲の花が咲いています。


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伊勢亀山城主をつとめた石川家の家紋

 「丸に笹竜胆」がデザインされ

 書き置きで、和紙に印刷されています。

 JR関駅内にある関宿ふるさと会館売店で販売されています。

 

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 〒519-0152 三重県亀山市本丸577番地

        0595-84-5078(亀山市教育委員会

 

 

 

亀山藩石川家 家老 加藤家屋敷跡 長屋門および土蔵」

 

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屋敷の鬼瓦が桃の形をしているおり、

桃の鬼瓦は各地の城で見られ、

邪気を払う霊力がある果物とされてきたとのこと

(神話時代からの伝承)

 

開館日   土日祝のみ内部見学可能

開館時間  午前9時~午後4時30分

入館料   無 料

 

現在の城跡としては、あまり残されていませんが

城跡の周りには武家屋敷跡や東海道のなごりがあり、

ゆっくりと周辺を散策されてみては如何でしょうか

亀山城ジオラマや古写真などが楽しめる

亀山市歴史博物館もぜひお勧めします。