神社仏閣参拝とオヤジの休日

中部地区を中心に趣味の小旅行(神社仏閣参拝)を私的観点から綴っています

伊勢国 総社 三宅神社

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鈴鹿川中流域で、伊勢国府の地として

古くから開けた地に鎮座する。

日本の律令制にて国司が地方政治を遂行した

領域のほぼ中央に位置している

国府町一帯では、天王山西遺跡や

三宅神社遺跡(境内から東南東)が広がっており

この神社遺跡の南方に正倉があったとされ

伊勢国府の所在とされる。

江戸時代までは、惣社大明神」と通称されたが

三宅神社と改称している。

明治に入り、国府町各村の神社との合祀をされ

國常立之命・大穴牟遅命主祭神として

他二十二神がしていると言われます。

例祭は10月10日に行われ、三宅神社獅子神楽が伝わる

国府流と呼ばれる獅子舞は他鈴鹿地区で行われている

獅子舞とは違い珍しい舞をされるとのこと・・・・

 

三宅神社

  【延喜式 式内社】【論社】

  【伊勢国 総社】 【旧村社】

 

主祭神

  國常立之命(くにのとこたちのかみ)

  大穴牟遅命(おおなむちのかみ)

祭神        配祀

  猿田彦命    泉事解男命

  若狭比賣命   綿津見命 誉田別命

  伊弉冉命    軻遇突知命 速玉男命

  天照皇大神   奥津彦命 奥津比賣命

  木花咲久耶姫命 神日本磐余彦命

  伊邪那岐命

  須佐之男

  市杵嶋姫命

  大山祇命

  住吉三神

  (上筒男命)   罔象女神

  (中筒男命)   菅原道真

  (底筒男命

 

「三宅神社 手水舎」

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「三宅神社 拝殿」

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伊勢国の総社として色々な説がある

江戸時代まで「惣社大明神」と通称され

改称したのも明治以降、古く「三宅神社」と

称した例もなくただ「日本書紀」に

天武天皇大海人皇子天武天皇)がこの

伊勢鈴鹿に至った時出迎えた

国司守三宅連石床」とのみぞ知る

別説として、河曲郡

「大鹿三宅神社」と言われる説もある

また、中世以来に事実上の惣社として

同市、稲生町西 式内社「伊奈富神社」もある

だが、神様は、私たちの心の中に持ち

日々感謝の念を持ち暮らすのが一番であろう。

 

「アクセス」 

  三重県鈴鹿市国府町1609 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ライブチャット マダムとおしゃべり館

 

推古天皇・聖武天皇 勅願所  泰平山 府南寺

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当山は聖武天皇勅願所の泰平山無量寿寺と

推古天皇勅願所の補陀落山府南寺とが

合併して 泰平山府南寺と号し

現在に至っており両寺は共に

聖徳太子草創に係る古刹である。

泰平山無量寿寺の本尊阿弥陀如来は、

 伊勢皇大神宮本地仏と言われる

これは、後宇多天皇の御宇・奈良西大寺

高層覚乗上人が伊勢皇大神宮の真の内証を

奉伺したところ国府の弥陀三尊なり」

とのお告げを蒙り、いらい「国府阿弥陀」と

呼ばれています。また、補陀落山府南寺は

聖徳太子天照大御神の神告をうけ当地を訪れ

千手観音像を刻み七堂伽藍を建立

左右の脇立には毘沙門天王と勝軍地蔵尊

奉安されている。

伊勢国国府の南に当たることから

府南寺と名付けられた

江戸時代を通じて歴代亀山城主の崇敬が篤く、

上納を受けていた

御室派仁和寺の末寺として

      準別格本山の称を与えられている

 

「御詠歌」

   色付くや上寺山の

         峯の松、風音して秋を報せん

                 (┬┬﹏┬┬) 

泰平山 府南寺

 

宗派 真言宗御室派

本尊 阿弥陀如来

   千手観世音菩薩 

真言 おん あみりた ていぜい からうん

   おん ばざら たらま きりく

開山 聖徳太子

開創 飛鳥時代

札所 伊勢西国三十三所観音霊場 十八番札所

   三重四国八十八ヶ所霊場 二十一番札所

 

「仁王門 」国の重要文化財に指定されている。

金剛力士鎌倉時代末期の作とみられ桧材、寄木造り

「阿形造」金剛杵を持った

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 「吽形造」宝棒を持った

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 隆々たる筋肉、実写的な衣文は鎌倉時代の特色

を表している。

 

補陀落山府南寺・本堂 観音堂

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「本堂内」

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「泰平山無量寿寺・本堂 阿弥陀堂

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「本堂内」

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御朱印

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「アクセス」


三重県鈴鹿市国府町2548

 059-378-0539

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

清涼山 宗徳寺

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亀山市の名所の野登地区、

両尾(ふたお)町を一望する高台に位置され

その境内の背後に広がる丘の中程に、

木々に囲まれて石製の小さな三重塔が

建立されています。

約一千百年前、醍醐天皇の勅願により

観音尊像がつくられ

その観音堂は東南方、百メートルの

ところにあったらしい。

慶長年当山に移築され内山観音堂と改称した。

 

「御詠歌 」

 詣で来る、人の祈りを

     叶へんと、千手の誓い、深きうち山

                 (┬┬﹏┬┬)

 

清涼山 宗徳寺

 

宗派 曹洞宗

本尊 十一面千手観世音菩薩

真言 おん まか きゃろにきゃ そわか

札所 伊勢西国三十三所観音霊場 二十二番 札所

 

「鐘楼堂」

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「本堂内」

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「本堂内格天井画」

四季折々の花・十二支・縁起物

どの方向に座られても楽しめるように

あえて色々な向きに配置されています。

檀家さんに日本画家の方が見えるらしいです。

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「内山観音堂

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「堂内」

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「石造三重層塔」

高さ2.29mの花崗岩製で、

一番下の大きな方形の基盤の上に、

塔本体にあたる石が三つ重ねられ

その上に頂上部分(相輪)が乗っています

相輪の先は折れて無くなっていますが、

ほかの部分は、ほぼ完全に残っています。

 

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基礎部分は半分ほど土の中に埋もれており

下から第一層の四つの側面に一体づつ

仏様の姿が浮き彫りにされています。

長い年月の間に雨風に削られてしまい

どのような、仏様かどうかうかがい

知ることができません

 

御朱印

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三重県亀山市両尾町208

   0595-85-1369

 

毎日が同じことのくり返し。

単調な生活でつまらない。

お互い、ときにそんな日常に不満を抱く。

しかし、何か事が起こると、人は、

それまでの平凡な毎日がいかに

貴重なものであったかに気づかされる。

人生で出遭うさまざまな不慮の出来事は、

当たり前が、どれほど幸せなことかを知る機会で

あるともいえよう。

大切なのは、事もなく過ぎていく

日常のありがたさを噛みしめること。

そして、そのうえで、

日々を新たな気持ちで送ること。

たとえ同じことの連続のように思えても、

まったく同じ、毎日というのはありえない。

よく見れば周りの自然は時々刻々に

移り変わっているし、

人も今日は昨日より一日経験を重ね、

物事に習熟することにもなる。

心の持ち方次第やり方次第で、くり返される

日常の中に新しい発見や進歩や楽しみを

見出すことができるのである。

昨日と変わらぬ朝と夜を迎えられることに感謝したい。

変わらぬところに喜びを感じて、

変わらぬ一日一日を精いっぱい大切に過ごしたい。

 

有難いお話をいただきました。

 

おすすめのお店

管理人も近くに来たときは寄ってきます

因みに宗徳寺住職さんもお薦めしてました。

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原田屋製菓舗

三重県亀山市両尾町343-1

   0595-85-0022

 

「アクセス」 

 駐車場は、参道が狭いため注意

手前から徒歩にて参拝されることをお勧めします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

醍醐天皇勅願所 鶏足山 野登寺

 


伊勢西国三十三ヶ所観音霊場 三重四国八十八ヶ所霊場         鶏足山野登寺

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亀山市の名所の中で野登地区にある野登山

山頂には野登寺上寺があり、

山号を鶏足山といいます。

千百年もの昔、人皇第六十代醍醐天皇は夢の中で

伊勢国鶏足山野登寺の菩薩の不思議なお告げを受けられ

勅使を遣わした、その勅使が山の麓で道に迷って

難渋していると、

何処からともなく「三本足の鶏」が飛んできて

勅使の裾をくわえると山頂まで導きました。

到着した勅使は、

この山のたたづまいに心を打たれ立ち尽くしていると

そこに翁が現れ、勅使をお堂の中へと案内しました

そこには、眩いばかりの神々しい、

神作の千手観音様がおりました、勅使はたいそう驚き、

案内された翁を探しましたが見つからず

あの翁こそ千手観音様のお姿に違いないと、

一心に伏し拝みすぐさま下山し帝にお知らせしました。

勅使の報告を受けられた帝は、

霊夢が正夢であったかと驚嘆され

遥か鶏足山の方を合掌礼拝されました。

仙朝上人を中興開山として遣わされ

仙朝上人は延喜年、全国各地より銘木を集め

諸堂伽藍の建立に取り掛かり延喜十年四月七日に

落慶法要を厳修されました。

するとその年は五穀が良く稔ったので、それ以来

毎年四月七日を縁日として祭礼を行っております。

 

「御詠歌」

   野を上る、寺こそ是よ

        鶏の、朝の声は、法の言の葉

               (┬┬﹏┬┬) 

鶏足山野登寺

 

宗派 真言宗御室派

本尊 千手観世音菩薩

真言 おん ばざら たらま きりく

開創 延喜十年

札所 伊勢西国三十三所観音霊場二十三番札所   

   三重四国八十八ヶ所霊場 二十四番札所

 

「手水舎」

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「鐘楼堂」

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「本堂」

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「雨壷の社」

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野登寺 下寺

「山門」

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「本堂」

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天正年、豊臣秀吉亀山城、峰城攻めの際

伽藍は焼き払われ寺領は没収されたが

その後、関一政より寺領の寄進をうけ堂宇を再建

当山下寺は、享保年、亀山城主 板倉重治

板倉家の祈願所として、上寺に模して建立した

以後、代々の亀山城主は、上寺・下寺への

信仰が厚かったと言われています。

 

御朱印

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三重県亀山市安坂山町2033-1

   0595-85-0729

 

「坂本の棚田 」

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 野登寺上寺と下寺の中間地点にあり

 日本棚田百選に選ばれており

 野登山山麓の緩やかな斜面に130余りの

 田があり地元の方々より守られています

 土手の石積みが特徴です。

 

「アクセス」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聖武天皇 勅願寺 金井山 林光寺

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鈴鹿市神戸地区にある

山号を金井山といいます

開山は千二百余年続く古刹であり

天平年、聖武天皇の勅により、

行基菩薩が東大寺を無事建立祈願の途

この地を訪れた折、林の中に泉が湧き出て

金光を放つのを見て感動し

聖武天皇勅願寺として開創された。

又、正平年間より

伊勢神戸城主代々

祈願寺となり繁栄した

 現在でも当時、桃山時代に再建された

本堂の内部は、須依壇の彫刻、極彩色の柱、

華麗な壁画格天井の花鳥の絵など

寄進の数々が現存している

 

「御詠歌」

かない山木の間とびくろ蛍火は

    野間のはやしに光とどむる 

           (┬┬﹏┬┬)  

 

金井山 林光寺

 

宗派 真言宗智山派

本尊 千手観世音菩薩

真言 おん ばざら たらま きりく

開山 行基菩薩

開創 天平

札所 伊勢西国三十三所観音霊場 二十番札所

   三重四国八十八ヶ所霊場  十三番札所

 

「本堂」

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「 本堂内 」

毎年8月9日の深夜3時間のみ開扉される

本尊の千手観世音菩薩(中央の逗子内)

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「閻魔堂」  

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毎年2月16日、8月16日の年2回御開扉され、

えんま会式が施工される、閻魔堂の閻魔大王

この閻魔堂は、閻魔大王が祀られており

身寄りの無い方、水子等不運な人々の供養のため

建立され、林光寺は別名「えんま寺」としても

有名になっている。

 

神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)

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山門前には、

「国宝本尊観世音」として大きな石柱が建っている

 御朱印

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 「アクセス」

三重県鈴鹿市神戸6-7-11

     059-382-0610

 

占いから離れなさい

物事をありのままに正しく観察し

すべては因縁と結果によって

成り立つものだと自覚しなさい

 

現在を大切に

過ぎ去った日のことは悔いず

まだ来ない未来にはあこがれず

とりこし苦労をせず

現在を大切にふみしめてゆけば

身も心も健やかになる。

               

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春日局ゆかりの寺 荒神山 観音寺(高神山)

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嵯峨天皇の時代、弘法大師日本武尊の御心霊を

仏像として祀り神事山を称したのが始まり

その後、大和国の法陵律師という聖僧が

神事山の観音大士のお告げにより

十一面観世音菩薩の思い出し御堂を建立、

安置したのが縁起

その後

出羽国湯殿山の修験者、海上

寛永伊勢大神宮へ参拝途中、

眼疾を患い失明してしまい

伊勢大神宮に開眼の志願をしたところ

夢枕に神童が現れ

神事山の十一面観音菩薩像に祈願せよとのお告げがあり

当山に参拝し7日目に開眼出来たと言われる

以来、順海上人は余生をご本尊に専心奉仕し献身され

その姿を拝見した、上人の姉にあたる春日局

仏恩奉謝のため湯殿山に勧請して

日天・月天・地天の三宝荒神四体さらに

寺院入り口の鐘楼堂の梵鐘を寄進された

往古は神事山と云い、後ち高野山の一寺の

名をとって高神山と改めました。

 

「御詠歌」

 里遠きこうぢが山の

     紅葉ばも、観音大悲の、光とぞ見る

                (┬┬﹏┬┬)

 

荒神山 観音寺

 

宗派 真言宗仁和寺御室派

本尊 十一面観世音菩薩 

真言 おん まか きゃろにきゃ そわか

開創 弘仁

札所 伊勢七福神霊場 寿老神

   伊勢西国三十三所観音霊場 二十四番札所 

   三重四国八十八ヶ所霊場  二十二番 札所

 

「手水舎」 

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「鐘楼堂」

 春日局が仏恩奉謝として寄進した梵鐘

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「本堂」

 本尊 十一面観世音菩薩

 日天・月天・地天の銅仏三天像が安置されている

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「本堂内」

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観音堂

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「奥之院」

 三宝荒神・九面観世音菩薩が安置されている。

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「三吉稲荷大明神

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御朱印

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三重県鈴鹿市高塚町1777番地

 059-379-0331

かの有名な荒神山の喧嘩

神戸の長吉と桑名の穴太徳のの縄張り争いから

この観音寺の裏山で起こった死闘

この戦いで長吉の頼みに応じた三州吉良港の仁吉、

子分の松阪の米太郎、清水の次郎長の身内、大政

樋屋の鬼吉らと22名に対して

穴太徳一家130名に大勝したが

三州吉良港の仁吉は28歳の若さにて火縄銃にて倒れた

清水の次郎長

奥境内に仁吉の碑があり

鐘楼堂柱には火縄銃の弾痕がある。

 

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「アクセス」  

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

富田山 長興寺

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四日市市 富田地区にある

山号を富田山といいます

開山は千余年続く古刹であり

養老年に諸国行脚されていた泰澄大師が

一夜の宿とされた時、「薬師如来」が夢に立たれ

「前にある大木で仏像をつくり、衆生を救え」と

告げられ、夢のお告げに任せ、一日一夜にして

大日如来像を刻まれ、この尊像が

人々の願いをかなえるによって、寺が作られた

弘仁年、弘法大師が再建され

仁治年、満月上人が別当として錫留され

新たに、一宇を建立して北島長興寺と称された

永禄年、織田信長伊勢進攻により堂宇を失い

明和年、本堂が再建されその後、

天保年に鐘楼門が建立されるが安政地震にて破損

その後、幾度となく地震、台風と

風雪に耐えかねない状況となり現在に至る

富田山と云う山号の如く

富田のけんか祭や鯨供養等、富田の歴史が

そのまま当山の歴史となっている。

 

「御詠歌」

磯の風 仏の御声 轟きて

       富田の里に 光り輝く

            (┬┬﹏┬┬) 

富田山 観音寺

 

宗派 曹洞宗

本尊 大日如来

   聖観世音菩薩

真言 おん ばざら だど ばん

   おん あろりきゃ そわか

開山 泰澄大師

開創 養老年

札所 伊勢西国三十三所観音霊場 二十七番札所

   三重梅花百ヶ所観音霊場  六十五番札所

 

地蔵尊十六羅漢堂」

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仏教では、迷いの世界を「此岸」

     悟りの世界を「彼岸」といいます

その彼岸に渡るためには「六波羅蜜」の

             実践が必要です。

六波羅蜜

・布施(ふせ)   = ほどこす

持戒(じかい)  = つつしむ

・忍辱(にんにく) = しのぶ

・精進(しょうじん)= はげむ

・禅定(ぜんじょう)= 心身をしずめる

智慧(ちえ)   = まなぶ

 

六波羅蜜の実践は自分にとって大きな

安らぎになるだけでなく、周りの人にも

幸せをもたらします。

御朱印

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 「アクセス」

三重県四日市市富田3-1-16