春日局ゆかりの寺 荒神山 観音寺(高神山)
仏像として祀り神事山を称したのが始まり
その後、大和国の法陵律師という聖僧が
神事山の観音大士のお告げにより
十一面観世音菩薩の思い出し御堂を建立、
安置したのが縁起
その後
眼疾を患い失明してしまい
伊勢大神宮に開眼の志願をしたところ
夢枕に神童が現れ
神事山の十一面観音菩薩像に祈願せよとのお告げがあり
当山に参拝し7日目に開眼出来たと言われる
以来、順海上人は余生をご本尊に専心奉仕し献身され
その姿を拝見した、上人の姉にあたる春日局が
仏恩奉謝のため湯殿山に勧請して
日天・月天・地天の三宝荒神四体さらに
寺院入り口の鐘楼堂の梵鐘を寄進された
往古は神事山と云い、後ち高野山の一寺の
名をとって高神山と改めました。
「御詠歌」
里遠きこうぢが山の
紅葉ばも、観音大悲の、光とぞ見る
(┬┬﹏┬┬)
本尊 十一面観世音菩薩
真言 おん まか きゃろにきゃ そわか
開創 弘仁年
「手水舎」
「鐘楼堂」
春日局が仏恩奉謝として寄進した梵鐘
「本堂」
本尊 十一面観世音菩薩
日天・月天・地天の銅仏三天像が安置されている
「本堂内」
「観音堂」
「奥之院」
三宝荒神・九面観世音菩薩が安置されている。
「三吉稲荷大明神」
「御朱印」
059-379-0331
かの有名な荒神山の喧嘩は
神戸の長吉と桑名の穴太徳のの縄張り争いから
この観音寺の裏山で起こった死闘
この戦いで長吉の頼みに応じた三州吉良港の仁吉、
子分の松阪の米太郎、清水の次郎長の身内、大政
樋屋の鬼吉らと22名に対して
穴太徳一家130名に大勝したが
三州吉良港の仁吉は28歳の若さにて火縄銃にて倒れた
奥境内に仁吉の碑があり
鐘楼堂柱には火縄銃の弾痕がある。
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