多度山 法雲寺 多度観音堂
山号を多度山といいます。
多度大社の東、鷲の倉の地に満願禅師が道場を開き
丈六の仏像を安置し日々、礼拝し
修行をしていたといわれます
多度大社の神託を受け堂塔の建立を発願し
この地に堂を建立
そして神像を祀って多度大菩薩と号していた
郡主水取月足から、鐘楼と銅鐘の寄進を受け
美濃の近士県主新麻呂から三重の塔の奉納をうけ
寺院の基礎が出来上がったと云われます
承和年、当寺を天台の別院とする勅命があり
嘉承年、真言の別院とされ、寺号を宝雲寺と称した
鎌倉中期の建暦の頃、盗賊の手により炎上
室町中期には明応地震と災禍に見舞われた
更には、
多度大社で信長の調伏祈願をおこなった為
押し寄せ、多度大社共々、堂塔のすべてを
兵火により焼失、その後、太閤検地により
寺領・社領の廃止に遇い寺威は衰退した。
江戸時代、
桑名を領した本多忠勝の多度神社復興に次いで
元和年、
住僧良心法師が大修理を行い
大社の別当として宝雲寺を再興したが
法雲寺は廃寺となった。
現在、多度大社のお手洗い川の畔に観音堂を
建てている
「御詠歌」
今までは 親と頼みし 笈摺を
脱ぎて納むる わしのくらにて
(┬┬﹏┬┬)
多度山 多度観音堂
宗派 真言宗
本尊 十一面観世音菩薩
真言 おん まか きゃろにきゃ そわか
おん ばざら たらま きりく
開山 満願禅師
開創 奈良時代
札所 伊勢西国三十三所観音霊場 三十三番札所
「本堂」
本堂にある梵鐘は、宝永年金沢の鋳物師
平井与兵衞尉永能 作
戦争の為、多くの梵鐘は供出され
古い時代の鐘は非常に少ない
「本堂内」
十一面観世音菩薩 千手観世音菩薩
満願禅師
「御朱印」
多度観音堂のすぐ隣にある
衣食住を司る神様、家内安全、
商売繁盛、社運隆盛
「多度稲荷神社」
「手水舎」
「拝殿」
全国に多数鎮座する「稲荷社」
多度山登山道を登ると本物に出会えるかも
又、多度稲荷神社には、
婚活守り(狐様のコンコンからか?)があります
これからの方は、どうぞ!
「アクセス」