雨尾山 味光院 飛鳥寺
自然豊かな地に建ち、木曽三川を眼下に
濃尾平野を一望できる高台に建ち、四季折々様々な
表情を見せてくれる雨尾山にあります。
開山は千余年続く古刹であり
喰えた霊鳥が、近隣山中の坊ヶ谷に降り立ち
その噂を聞いた、弘法大師が来山したところ
霊鳥が十一面観世音菩薩に
変化したと伝えられています。
その後、寺は大いに栄えたが、元亀年
寺域一里半、十二の伽藍が並ぶ密・律・禅の
元禄年、地蔵菩薩の像を手に入れた
桑名藩士、南条三太左衛門宗親が安置場所を
探し雨尾山に登った際、寺跡の草庵の
中から、十一面観音の頭を発見、
宗親は奇異感嘆し
京都より仏師を招いて修復し房舎一宇を再現し安置した。
「御詠歌」
雨の尾の 嵐の風は しげけれど
雲井はるかに 鳥ぞ飛来る
(┬┬﹏┬┬)
宗派 真言宗東寺派
本尊 十一面観世音菩薩
真言 おん まか きゃろにきゃ そわか
開山 弘法大師
開創 延暦年
札所 伊勢西国三十三所観音霊場 三十二番札所
「鐘楼堂」
「本堂」
現在、当寺は
山ノ城城跡に移っており
坊ヶ谷の跡地は飛鳥廃寺跡と呼ばれている。
「御朱印」
境内にある
農業・商業・産業の神
「三吉稲荷社」
境内左にあるお社
「眺望」
「アクセス」
0594ー29ー2019
伊勢天台別院として栄えた 垂坂山 観音寺
四日市市 大矢知地区にある
山号を垂坂山といいます
自然豊かな地に建ち、四季折々の
花の香りや、鳥のさえずりを楽しめる
開山は千余年続く古刹であり
延長年、若き日の慈恵大師が大乗受戒で
伊勢を行脚中、朝明郡の領主、舟木良見の
帰依寄進を受け垂坂山に堂塔を建立
大師自ら刻んだ千手観音像を本尊として
安置していることから始まる。
当寺は、伊勢天台別院として栄え
最盛期の伽藍の規模は垂坂を中心に
16キロ四方とも言われ、
薬師堂等の二十四坊が甍を並べる大寺であった。
兵火にかかり諸堂をことごとく炎上してしまう。
その後、荒廃していた観音寺を嘆いた
桑名藩、野村増右衛門は、
藩主 松平定重公に再興を願い
藩主の命により元禄年に復興された
「御詠歌」
祈りなば 誰も願ひの
垂る坂を 一人の上ると 人ぞ思ふな
(┬┬﹏┬┬)
宗派 天台宗
本尊 元三大師(良源)
千手観音像
真言 おん ばざら たらま きりく
開山 船木良見
開創 延長年
札所 東海近畿地蔵霊場 一番札所
東海四十九薬師霊場 十番札所
伊勢西国三十三所観音霊場 二十六番札所
「鐘楼堂」
広瀬与左ェ門 作 (梵鐘)
「本堂」
「毘沙門天立像」
「不動明王立像」
山門となりにある、天台宗「一隅を照らす」精神の石碑
「元三慈恵大師」
宇多天皇の後胤といわれ、延喜年に出生
となった。
世の中に、疫病が流行した際、降魔の観法を修し
鏡に映ったその姿を版に刻んで護符をつくり
人々に、配った。その時鏡に映った姿は
角を生やした鬼の姿であり
この護符は、角大師、豆(魔滅)大師と
言われ信仰されている。
また、
現在の神社仏閣で広まっているおみくじは
元三大師が創始者と言われています。
言葉は心なり、ことばは心の足音
心清ければことばも又香し
人間は偉いものではない尊いものです
迷いやすき人間知りがたき真実
「御朱印」
「アクセス」
059-331-5448
近隣施設では、
四日市市の工業地帯の夜景を一望できる
垂坂公園展望台があります。
一度足を運んで見て下さい
聖武天皇 勅願所 龍王山 宝性寺
四日市市蒔田地区にある
開山は千二百余年続く古刹であり
朝明行宮の際摩伊多の里に御野立された地で
勅願により建立された。
創建時は樹木が鬱蒼とした広大な土地に
七堂の伽藍の荘厳なお堂があり
ご本尊は、石山寺を開基した、
「良弁僧正」による彫刻、
十一面観世音菩薩像を
安置して祀り、長く隆盛をみた
永禄年、織田信長の北伊勢侵攻の
戦火で焼失した。
寄進により再興されたのが現在の本堂であり
ご本尊と共に「蒔田観音」と愛称され
現在まで、広く信仰されています。
「御詠歌」
しののめの、光と仰ぐ
宝性の千歳の炎深き恵みを
(┬┬﹏┬┬)
龍王山 宝性寺
宗派 単立
本尊 十一面観世音菩薩
真言 おん まか きゃろにきゃ そわか
開山 聖武天皇
開創 天平年
札所 伊勢西国三十三所観音霊場 二十八番札所
「本堂」
「本堂内」
「 阿彌陀堂」本堂左手にある
「 阿彌陀堂内」
「撫で佛」
本堂左手奥の撫で仏(びんずるそんじゃ)様
体の部分を撫で、その手で患部をさすると
病気が治るとされる
さすり仏様です。
境内にある
御厨神明神社
【旧村社】
豊宇気毘売神 とようけびめのかみ
祭神
大山祇命 おおやまつみのみこと
配神
応神天皇 おうじんてんのう
天児屋根命 あめのこやねのみこと
「御厨神明神社」 拝殿
参道入口の石柱の号標に「御厨神明神社」
とあるように、伊勢神宮の御厨の地に奉祀
された神社である。
参道入口の号標と境内を共有
千年以上「神仏習合」の時代が続いた
日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)
が融合し一つの信仰体系として再構成(習合)されて
いたこの名残と言えよう
「御朱印」
「アクセス」
聖武天皇 勅願所 白子山 観音寺
山号を白子山といいます
開山千二百余年続く古刹であり
四季を通じ葉や花の絶えない「不断桜」がある
寺伝では
本尊の白衣観世音菩薩が当寺の鼓ヶ浦の海中より
鼓に乗って出現したといわれております。
「伊勢の浦に時々鼓の音あり、怪しきままに網を
下げしけるに、鼓に乗り、観世音の尊象上らせ給ふ」
以来、深い帰依を受け
正親町天皇より綸旨を賜る
「ご本尊は殊に大悲深く、難産のうれひを救い
子孫長久を守らせ給う、ゆへに子安観音とあがむ」
徳川御三家の安産祈願文等を所蔵している
「御詠歌」
漏らさじとたつる仏の
誓ひとて つづみの浦に、鳴る浪の音
(┬┬﹏┬┬)
白子山 観音寺
本尊 白衣観世音菩薩
真言 おん しべいてい しべいてい
はんだら ばしに そわか
開山 道證上人
開創 天平・勝宝年
堂々とした仁王門をくぐると
正面にある「銅鐙篭」寛文年 辻越後守玄種 作
「手水舎」
「本堂」
境内にある美しい「三重の塔」
を祀っている
現在より千二百年前、伽藍に雷火があり
跡より一本の桜が芽吹きその桜は、観音様の
妙智力により、四季に花葉が絶えず
「白子不断桜」
と名付けられました。(天然記念物)
孝謙天皇が
「ちかひあり いつも桜の花なれば
みる人さへや ときはなるべし」と詠まれ
当寺の御霊木となりました。
今も厳寒の中、白い花をつけています。
「鐘楼堂」
名古屋市東区白壁町より移築された
因みに当観音寺の、安産祈願には
腹帯を持って行くと御朱印を押していただけます
安産祈願を終えると、安産御守、不断桜の葉
祈祷札、御供米、加持乳米を頂きます
不断桜の葉が封筒に入れられており
開けてみて葉が表だと女の子、裏だと男の子
が生まれるという言い伝えあります
因みに、管理人も白子山観音寺で
ご祈祷していただき、桜の葉の
言い伝えは当たっていました。
「御朱印」
「アクセス」
059-386-0046
伊勢国 総社 三宅神社
古くから開けた地に鎮座する。
領域のほぼ中央に位置している
国府町一帯では、天王山西遺跡や
三宅神社遺跡(境内から東南東)が広がっており
この神社遺跡の南方に正倉があったとされ
伊勢国府の所在とされる。
江戸時代までは、「惣社大明神」と通称されたが
三宅神社と改称している。
明治に入り、国府町各村の神社との合祀をされ
他二十二神がしていると言われます。
例祭は10月10日に行われ、三宅神社獅子神楽が伝わる
獅子舞とは違い珍しい舞をされるとのこと・・・・
【伊勢国 総社】 【旧村社】
國常立之命(くにのとこたちのかみ)
大穴牟遅命(おおなむちのかみ)
祭神 配祀
木花咲久耶姫命 神日本磐余彦命
須佐之男命
市杵嶋姫命
(上筒男命) 罔象女神
(底筒男命)
「三宅神社 手水舎」
「三宅神社 拝殿」
伊勢国の総社として色々な説がある
江戸時代まで「惣社大明神」と通称され
改称したのも明治以降、古く「三宅神社」と
称した例もなくただ「日本書紀」に
伊勢鈴鹿に至った時出迎えた
「国司守三宅連石床」とのみぞ知る
別説として、河曲郡の
「大鹿三宅神社」と言われる説もある
また、中世以来に事実上の惣社として
同市、稲生町西 式内社「伊奈富神社」もある
だが、神様は、私たちの心の中に持ち
日々感謝の念を持ち暮らすのが一番であろう。
「アクセス」
推古天皇・聖武天皇 勅願所 泰平山 府南寺
合併して 泰平山府南寺と号し
現在に至っており両寺は共に
聖徳太子草創に係る古刹である。
高層覚乗上人が伊勢皇大神宮の真の内証を
奉伺したところ「国府の弥陀三尊なり」
呼ばれています。また、補陀落山府南寺は
千手観音像を刻み七堂伽藍を建立
奉安されている。
府南寺と名付けられた
江戸時代を通じて歴代亀山城主の崇敬が篤く、
上納を受けていた
御室派仁和寺の末寺として
準別格本山の称を与えられている
「御詠歌」
色付くや上寺山の
峯の松、風音して秋を報せん
(┬┬﹏┬┬)
宗派 真言宗御室派
本尊 阿弥陀如来
真言 おん あみりた ていぜい からうん
おん ばざら たらま きりく
開山 聖徳太子
開創 飛鳥時代
札所 伊勢西国三十三所観音霊場 十八番札所
「仁王門 」国の重要文化財に指定されている。
「阿形造」金剛杵を持った
「吽形造」宝棒を持った
隆々たる筋肉、実写的な衣文は鎌倉時代の特色
を表している。
「本堂内」
「本堂内」
「御朱印」
「アクセス」
059-378-0539
清涼山 宗徳寺
亀山市の名所の野登地区、
両尾(ふたお)町を一望する高台に位置され
その境内の背後に広がる丘の中程に、
木々に囲まれて石製の小さな三重塔が
建立されています。
約一千百年前、醍醐天皇の勅願により
観音尊像がつくられ
その観音堂は東南方、百メートルの
ところにあったらしい。
慶長年当山に移築され内山観音堂と改称した。
「御詠歌 」
詣で来る、人の祈りを
叶へんと、千手の誓い、深きうち山
(┬┬﹏┬┬)
清涼山 宗徳寺
宗派 曹洞宗
本尊 十一面千手観世音菩薩
真言 おん まか きゃろにきゃ そわか
札所 伊勢西国三十三所観音霊場 二十二番 札所
「鐘楼堂」
「本堂内」
「本堂内格天井画」
四季折々の花・十二支・縁起物
どの方向に座られても楽しめるように
あえて色々な向きに配置されています。
檀家さんに日本画家の方が見えるらしいです。
「内山観音堂」
「堂内」
「石造三重層塔」
高さ2.29mの花崗岩製で、
一番下の大きな方形の基盤の上に、
塔本体にあたる石が三つ重ねられ
その上に頂上部分(相輪)が乗っています
相輪の先は折れて無くなっていますが、
ほかの部分は、ほぼ完全に残っています。
基礎部分は半分ほど土の中に埋もれており
下から第一層の四つの側面に一体づつ
仏様の姿が浮き彫りにされています。
長い年月の間に雨風に削られてしまい
どのような、仏様かどうかうかがい
知ることができません
「御朱印」
0595-85-1369
毎日が同じことのくり返し。
単調な生活でつまらない。
お互い、ときにそんな日常に不満を抱く。
しかし、何か事が起こると、人は、
それまでの平凡な毎日がいかに
貴重なものであったかに気づかされる。
人生で出遭うさまざまな不慮の出来事は、
当たり前が、どれほど幸せなことかを知る機会で
あるともいえよう。
大切なのは、事もなく過ぎていく
日常のありがたさを噛みしめること。
そして、そのうえで、
日々を新たな気持ちで送ること。
たとえ同じことの連続のように思えても、
まったく同じ、毎日というのはありえない。
よく見れば周りの自然は時々刻々に
移り変わっているし、
人も今日は昨日より一日経験を重ね、
物事に習熟することにもなる。
心の持ち方次第やり方次第で、くり返される
日常の中に新しい発見や進歩や楽しみを
見出すことができるのである。
昨日と変わらぬ朝と夜を迎えられることに感謝したい。
変わらぬところに喜びを感じて、
変わらぬ一日一日を精いっぱい大切に過ごしたい。
有難いお話をいただきました。
おすすめのお店
管理人も近くに来たときは寄ってきます
因みに宗徳寺住職さんもお薦めしてました。
原田屋製菓舗
0595-85-0022
「アクセス」
駐車場は、参道が狭いため注意
手前から徒歩にて参拝されることをお勧めします。